そうだった。その日の朝早くおいらは、頭のかすかな痛みとクラクラというか、ムカムカするような気持ちの悪さで、目が覚めたんだった。その時はおいら、まだ半分夢の中だったから、最初はなんで頭が痛いのかとか、なんで気持ち悪いのかが、よく分からなかったのねん。
つづく...
あおむし
んでも、何かがおかしかった。何かが普段の朝とは違っていたのヨね。って、おいらは、親の家とは言え、この部屋で暮らして来たこの数年の間、そりゃあ確かにこの時間はいつもならまだ眠っている時間ではあるんだけれども、それでもヤッパリ何かがいつもとは違っている、というコトは分かったのねん。
つづく...
あおむし
しばらく経つと、だんだんと何がおかしかったのか、おいらにも分かって来た。
それは臭いだった。
おいらが眠っている間でも、鼻を通って吸い込まれて来るハズの朝の新鮮な空気の臭いが、その日はまるでいつもと違っていた。と言うよりも、その日はまったく「新鮮」な臭いぢゃなかったのねん。
つづく...
あおむし
その臭い...何かおいら、知っている...何か間違いなく、これまでに嗅いだことのある臭いなんだヨなああ...。
んでも、ええと、何の臭いだっけ?香しく甘〜い花のかおりとか、心地よい早朝のりんとした空気の臭いみたいなイイ臭いではなかったし、食欲をそそるような香ばしいコーヒーの臭いでも無いことだけは確かなんだけど。そんなんぢゃなくって、何かもっとイヤ〜な感じのする臭い。いっそのこと、気が付かなければ良かったと思いたくなるような、嫌な臭いだったのヨ。
つづく...
あおむし
浅い眠りの中で、おいらの脳ミソは検索モードに突入した。検索窓の所には「臭い」という文字が打ち込まれ、そして検索ボタンが押され、おいらの脳ミソはおいらの記憶データの中を、大急ぎで検索し始めた。ま、頭痛とムカムカ感のせいもあってか、グーグルの検索エンジンよりは、遥かに遅いスピードではあったんだけどね。
つづく...
あおむし
しばらく経って、おいらの脳ミソは検索結果をはじき出した。ゆっくりとしか動かないおいらの脳ミソでは、最初のうち、その文字はぼんやりとにじんでいるように見えて、何て書いてあるのか読み取れなかった。んでも、チッ、チッ、と時計が時間を刻んで行くにつれて、そのぼやけた文字も徐々にハッキリとして来て、数分後には読めるようになったのねん。
つづく...
あおむし
結果は、太字でたった2文字しかないようで、読んでみると...ガ..ス、ガスだった。
ガス?それ位おいらだって何のことか知ってるわい、とまだ半分寝ボケながらおいらは呟いた。そう、そう、ちょっとした火花が引火すると、家ごとフッ飛ばしてしまうアレね、...んん?ガス?って、ガスかよっっっ!!
つづく...
あおむし
ガスの臭いだったのかヨ、おいっっ!ってコトは、ガス漏れなんぢゃないかあああっっっ!
ガス漏れ検知器は一体何をしてるのヨ?作動して無いのか、え?ついこないだ、電話が通じなくなってNTTの人が修理に来た時に、電話線から切り離してガス漏れの通報はされなくなったんだけれども、検知器自体はちゃんと作動するようになってたんぢゃなかったのかいナ?んでも、おいら、検知器が鳴っていたのを聞いた覚えがなかったのねん。
つづく...
あおむし
階下にあるキッチンにはガスコンロがあったから、きっとそこから漏れているに違いない、イヤ待てよ、もしかしたら誰かがガスを消し忘れたのかも...。おいらの頭ン中は混乱状態に陥りそうになったんだけれども、ま、ともかく、おいらは被っていた毛布を蹴り上げて布団から飛び起きた。そんでもって、階段のてっぺんめがけて自分の部屋から飛び出して行ったのねん。
つづく...
あおむし
部屋を飛び出すと、おいらもうすっかり目が覚めていたので、2階にガスの臭いが充満していることがスグに分かった。その不快な臭いは、息を吸い込む度においらの頭の痛みをガン、ガンと増幅させ、ムカムカする気持ちの悪さからか、おいらの足元はヨタついていた。もう、どの位こんなのを吸い込んでたんだろう?この症状は、おいら既にガスに侵されているんぢゃないの?と思いつつ、転げ落ちるようにして階段を降りると、キッチンに飛び込んだ。シューーーという嫌な音が耳につく。間違いなく、ガスだったのねん。
つづく...
あおむし
パジャマの袖で鼻と口を覆いながら、おいらはキッチンに入って窓を全部開け放った。それからコンロに近付いて、開いているツマミがないか、1コずつ急いで確認した。そしたら、コンロに火は付いてていなかったんだけれども、4つあるツマミのうちの1コが開いていたのだ。
つづく...
あおむし
おいらは、ただちにそのツマミを閉めてガスを止め、それから痛む頭で換気扇を回すべきかどうか、ほんの少しの間考えた。もしも、換気扇のスイッチを入れる時に、ちびっとでも静電気のような火花がパチッと上がったりしたら、恐ろしいコトになるではないか。んでも、まあ、ウチの換気扇はヒモを引っ張るタイプの極めて原始的なタイプだし、掃除を怠っているせいで油汚れが付いていて、パチッともプチッとも鳴らないだろうから、大丈夫だろ、と判断して、おいらは換気扇を付けたのねん。
つづく...
あおむし
換気扇は充満していたガスを吸い出し始め、しばらくすると、普段の朝のキッチンに戻ったかのように思えた。くたびれた爺さんのように、ウンウンとかすかな声をあげる換気扇だったが、頼り無気でも確実に続くウンウン音に、おいらホッと安堵の溜め息を落とした。けど、新鮮な空気を肺に送り込もうと深く息を吸い込んだ次の瞬間、キッチンはまだ相当ガス臭かったことを、おいらは思い知らされた。
つづく...
あおむし
おいらはムカムカ感と頭の痛みを急に思い出し、ものすんごく気持ちワリイ、と思いながら自分の部屋に向かってヨロヨロと階段を昇った。あまりの気持ち悪さに、自分の部屋で横になろうと思ったんだけれども、どうにか部屋にたどり着いてみたら、キッチンよりもひどい臭いだった。そおかあああ、煙とか火って、上に上がって来るって言うもんなあああ、だから2階の方が臭いのかもなああ、とおいらはボンヤリした頭で考えた。
ガスも同じように上に上がって来るのかもなああ。
つづく...
あおむし
どおでもイイけど、こんなに気分が悪いのに自分の部屋で横になって休むことも許されんのかいナ。あのなああ。おいら、眠っている間に死んでしまってたかも知れんのヨ、ねえ。
それなのに、横になって休むこともできんなんて、ソレもコレも全部...殿!そう、そうだ。きっと全部、殿のせいだ。ガスを出しっ放しのまま消し忘れるなんて、ヤツの仕業に違い無い。なんつったって、オッサン、我が家のニワトリ代わりで、毎朝4時起きなんだかんナ。そんでもって、4時半までには、大好きな健康食品で朝メシを作ってたりするんだかんナ。
つづく...
あおむし
いや、いや、待てよ。それとも女王様のせいだったかも知れん。そのつもりが無いのに、過ってガスのつまみをひねってしまったからと言って、そんなことに気付くような繊細な神経の持ち主ぢゃないかんナ。
んでも、誰の仕業かなんて、もう、どおでもよかった。だって、おいらの脳ミソはこれ以上働くことを拒否していたのねん。
つづく...
あおむし
おいらは新鮮な空気を吸うために、部屋の窓からベランダへと這い出した。はあ、コレで幾らか気分はマシになるハズなのねん。少なくとも部屋の中にいるよりは、マシなハズなのねん...。
ベランダでは、ちょうど朝の太陽の光がおいらの顔を眩しく照らし始めた頃だったが、そこにまだほんの少し残っていた朝の空気の、かすかなヒンヤリ感が心地よかった。
つづく...
あおむし
おいらは新鮮な空気を吸うために、部屋の窓からベランダへと這い出した。はあ、コレで幾らか気分はマシになるハズなのねん。少なくとも部屋の中にいるよりは、マシなハズなのねん...。
ベランダでは、ちょうど朝の太陽の光がおいらの顔を眩しく照らし始めた頃だったが、そこにまだほんの少し残っていた朝の空気の、かすかなヒンヤリ感が心地よかった。
つづく...
あおむし
上等ぢゃないか。ほんと、最高だヨな、もう。
おいらは昨日までオババの理不尽な要求に絶え続けたせいで、もうクタクタの疲労困ぱいの眠キチなのヨ。なのに、このシト達、殿でも女王様でもこの際どっちでもイイんだけど、このシト達に、おいらは眠っている間に、危うく一酸化炭素中毒で殺されかけたのヨ。この家では安心して眠ることもできんのかいナ、え?
このシト達は、おいらを殺す気なのか?
え?どう思うヨ、ミケコ?
つづく...
あおむし
「Zzzzz ...Zzzzz ...。」
ミイイケエエコオオッッッ!!
「Zzzzz ...Zzzzz ...。」
あああ、遂にネコにも聞いてもらえなくなっちまったのか...。
「俺は聞いてるヨ。」
つづく...
あおむし
俺はって...何...?おおおお、リュウチン、お前かあ!
「おう。俺は聞いてんだからよお、話し続けな。」
リュウチン、お前って、ほんとにイイやつだヨなああ。おいらがヘコンだり落ち込んだりしてる時、おいらの横に座って話を聞いたり慰めてくれるのなんか、いつもお前だけだったもんなああ。
つづく...
あおむし
「なあに言ってやがんでえ、水臭え。俺はお前の相棒じゃねえかあ。」
(相棒?コイツいつから相棒になったんだろう。確かおいらに飼われてた犬だったんぢゃなかったっけ?ま、いっか。本人?がそう思ってんだったら、そういうコトにしといたろ...。)うん、だよね。
つづく...
あおむし
「話を整理すると、つまり、お前さんがあのボケた婆さんにこき使われて、くたびれちまってる所に、誰かがガスを止め忘れたせいで、危うく一酸化炭素中毒で殺されかけ、普段より朝早くにムリヤリ起こされた上に、その同じ日に、殿のくだらん思い付きのせいで、女王様のアジサイを植え変えるという肉体労働に従事させられるハメになったと、まあ、こういうこったな。間違いねえか?」
つづく...
あおむし
その通り。よく聞いてたね、リュウチン。いつからそこにいたのヨ?
「いつからいたのかって?そりゃあ、お前、俺はお前がオムツに小便チビッてる頃からいらあな。」
つづく...
あおむし
そんなワケないだろ。あんたがこの家にやって来た時おいらは小学校5年生で、その頃そこら中に小便タレ捲ってたのはアンタでしょうヨ。だって、アンタあの頃まだ生後2ヶ月だったろ。
「どわあっはっはっはっ。そうだったかあ?お前、よくそんなコト覚えてんなあ。もしかすると、お前のそういうトコがいけねえのかも知れねえぞ。もっと物事を忘れてもイイんぢゃねのかあ?特に嫌なコトはよお。見てみろよ、あのネコの野郎。アイツなんか、きっと何も覚えちゃいねえぞ。」
つづく...
あおむし
あんたの言う通りかもしれん。おいらも気を付けてるつもりなんだけど、いつも嫌なコトの方を覚えてて、良いコトの方を忘れちゃうのねん。それに、おいら堪え性がなくてさ。特にオババの相手してる時はイライラしちゃうんだヨね。オババはボケちまってるんだから、本当は何か問題を起こしたとしても、彼女が責められるべきではないし、もっと忍耐強く優しく接しなければならないのは、分かってるんだけどね。んだから、おいらガンバッてみたこともあるんだけど、今までにそんな風にできた最高記録が、2ヶ月だかんなあああ。
つづく...
あおむし
「2ヶ月だと?それって、十分長えんじゃないのか?お前だって生きモンなんだからよお、全て完璧にこなせるなんて、思っちゃいけねえよ。誰だってタマには頭に来ることだってあらあな。タマにはちょっとぐれい荒れたって、俺は別にイイと思うがなあ。そのことで、お前が罪悪感を感じる必要なんて、ねえんじゃねえのかあ?大体よお、この国で一般的に婆さんの面倒を見るのは、お前の親の立場にいるヤツなんじゃねえのか?」
つづく...
あおむし
んまあ、一般的には確かに、そうなのねん。
「てコトはよお、お前さんがアレコレ心配することじゃ、ねえんじゃねえのか?そいつぁあ、お前の親がやるこったろ?婆さんのことは、親に任せといたらどうだい?」
つづく...
あおむし
んでも、あの人達、多分婆さんの面倒なんて全く見ないと思うヨ。だって、この3年間マトモに世話してるのなんか、見たことないもん、おいら。ましてや、婆さんのことを心配するなんて、あり得ない。
「それなら、それでもイイんじゃねえのか?アイツらにはよお、アイツらのやり方ってもんが、あんだろうからよお。分かんねえぞ。もしかしたら、お前が思ってる以上にやるかもしれねえぞ。」
つづく...
あおむし
「それによお、お前さんには、お前さんの人生ってもんがあんだろうよ?」
そりゃ、もちろん。
「んだったらよお、婆さんのこたあ親に任せて、そろそろ自分の人生歩いて見るってなあ、どうだい。お前も、一生あんな困った人達にばっか、かまってるワケにも行かねえだろ?」
いやあ、まったく、そうかも知れん。おいらも、そろそろ自分のことに集中しなきゃいかんのねん。そんでもって、どうにかして元の生活に戻さねばならん...。
「おうっ、その意気だ、相棒。」
つづく...
あおむし
「ンニャアアアアアオオオウ。おや、お前さん達おそろいで。何かあったのかい?アタイ、面白いとこ聞き逃しちまったかねえ?」
「そらあ、もう。聞き逃したなんてもんじゃねえぞ。松坂はボストンでメジャーリーガーになったし、井川はヤンキーズで松井のチームメイトになったし、亀田はランダエタをやっつけてチャンピオンベルトを防衛したし、クリスマスと有馬記念は終わっちまって、今日が今年最後の日になっちまったんだからなあ。」
「おや、そつぁ、ビックリだね。そいじゃ、まあ、困った人達の話はこの辺で置いといて、来年はもちっとマシな年になるように祈るってのはどうだい?」
「おう、珍しくネコと意見が合っちまったな。」
なのねん。ンなワケで、お2人さん、良いお年を。そんでもって皆さん、来年はその前のより、良い1年になりますように。
つづく...
あおむし