12月の歳時記
この「歳時記」ではしばらくの間、古くから行われ現代の日本にも受け継がれている、伝統的な行事について紹介して行きたいと思います。
この時期に行われる行事
12月に入り、新年の前の暮れの慌ただしさがやって来ましたね。(と言っても、更新が遅れたためにもう12月も半分過ぎてしまいましたが。)でも新年を迎える前には、私達日本人にとって大切な行事の1つである、大晦日(おおみそか)が控えていますヨね。なので、今月はその大晦日(おおみそか)について書いてみようと思います。
大晦日(おおみそか)って何でしょう?
大晦日(おおみそか)とは、現在私達が使っているグレゴリオ暦の12月31日に当たる、1年の最後の日につけられた名前です。(そんなことは、分かってるって?あはは。)大晦日(おおみそか)を漢字で書いてみると、「大(おお)」と「晦(みそ)」と「日(か)」の3つの部分で構成されているのが分かりますヨね。「晦(みそ)」は「三十路(みそじ)」なんていう言葉にも使われている、「三十(みそ)」と同じ意味で「30」という数字を表していると言われています。
つまり、「晦日(みそか)」は「30日」という意味で、これは、その昔まだ日本で太陰暦が使われていた頃、毎月の末日であった30日を意味する言葉なんだそうです。太陰暦は月齢に対応していましたから、お月さんが新月となる瞬間を含んだ日を1日(ついたち)、(その日を「月立、ついたち」と呼んでいたので、毎月の最初の日を「ついたち」と言うようになったそうです)、15日の満月を過ぎて月が段々と小さくなって、とうとう見えなくなってしまった日を「月が隠れてしまった日」という意味で、「月籠り(つごもり)」と呼んだワケです。
この「月籠り(つごもり)」は、大晦日(おおみそか)の「晦」という字でも表されるため、毎月の最後の日(つまり当時の暦の30日ですね)を「晦日(みそか)」あるいは「晦(つごもり)」と呼びました。そして、この「晦日(みそか)」に「大(おお)」を付けることで、「大晦日(おおつごもり)」あるいは「大晦日(おおみそか)」と呼んで、毎年1年の最後にやって来る日を表すようになった、と言われています。
日本人にとって大晦日(おおみそか)は、新年を迎える前日の大切な日で、この日には地方によって様々な伝統的な風習を行う習慣が、今もまだ残っています。年末に家の内外を大掃除する習慣や、深夜になるとお寺の鐘が鳴るなんていうのは、現在でも全国的に見られる風習のようですが、大晦日(おおみそか)に年越し蕎麦(そば)を食べたり、あるいは年越し料理を食べたりする習慣は、それぞれの地域や家庭によるところが大きいようです。
今風(?)大晦日(おおみそか)の過ごし方
一般的に各家庭では、大晦日(おおみそか)の夕方までに、大掃除を終えるところが多いんではないでしょうか。会社などでは、正月休みに入る前の最後の日を、自分のデスク周りやオフィスの大掃除に当てたりしますヨね。日本の主婦の皆さんにとっては、家の大掃除をしたりお正月の飾りや料理を準備したりと、この日がおそらく1年の内で最も忙しい1日だったんではないかと思います。とは言え、最近ではハウスクリーニングを利用したり、自分で御馳走を用意する代わりに出来合いのおせち料理で済ませたりと、楽チンな方に流れる方々も大勢いらっしゃるとか。(んま、それだけ世の中が便利になったってコトなんでしょうが。)
テレビ番組なんかも、どうもこの楽チンな流れに乗っかっているようで、この時期に放送される特番(特別番組ってヤツですね)は、大抵つまらないものばかりだったりします。芸能界及びテレビ関係者の方々の正月休みを捻出(ねんしゅつ)するためには、仕方の無いことなのかもしれませんが、時々この特番ってヤツが死ぬ程退屈だったりするので、(おっと、失礼、個人的な意見ですので悪しからず)視聴者は、この機会のために見ずにおいたDVDを借りに、レンタルビデオ屋に走ったりします。
紅白歌合戦は、大晦日(おおみそか)に放送される特別番組の1つで、かつては大晦日(おおみそか)の晩に家族揃って紅白を見るというのが定番でしたが、最近では若い世代を中心にすっかり人気がなくなってしまっています。彼等にとっては、K1やPRIDEグランプリといった格闘技番組の方が魅力的なようですし、中にはテレビ番組自体に全く興味が無いという人もいるようです。そんなワケで、今では大晦日(おおみそか)に家族揃って紅白を見るという家庭は、すっかり減ってしまったような気がします。
さて、そんな紅白ですが、大体11時45分頃までに放送が終了します。(この頃までには年越し蕎麦を食べ終わっていた方がイイみたいです。)そして、これ位の時間から、新年がもうそこまで来ていることを知らせる、除夜の鐘(じょやのかね)が鳴り始めます。大晦日(おおみそか)の夜は、早く寝てしまうと白髪頭になるとか、シワだらけになるといった迷信があるので、この迷信を信じるなら大晦日(おおみそか)の夜は朝まで一晩中起きていなければならない、ということになりますが、現在その通りにしている方がどの位いらっしゃるかは不明です。
年末の大掃除
現在でも私達の生活の中に残る年末行事の風習の中で、全国的に見られる最も一般的なものと言えば、やっぱり大掃除なんではないでしょうか。新しい年をきれいな環境で気持ちよく迎えることができるように、日本の家庭や会社、学校などでも、大晦日(おおみそか)までに大掃除が行われます。
この年末の大掃除、実は毎年6月の終わりと年末の年に2度行われていた、「大祓い(おおはらい)」と呼ばれる風習に由来するものなんだそうです。6月の終わりに行われていたものは「夏越しの大祓い(なつこしのおおはらい)」と呼ばれ、毎年前半の6ヶ月の間にたまった穢れ(けがれ)を祓い(はらい)浄める(きよめる)ために行われたと考えられています。一方、年末に行われたものは「年越しの大祓い(としこしのおおはらい)」と呼ばれ、残りの半年間の穢れ(けがれ)を祓い(はらい)浄める(きよめる)ためのものだった、と言われています。
私達日本人の祖先達は、この「大祓い(おおはらい)」を行うことによって、目に見えない罪や穢れ(けがれ)を祓(はら)って悪しき魂を追い出し、良き魂を導き入れようとしたようです。また、これは個人的な解釈なので、はっきりとしたことは言えませんが、七夕行事の際に地方によって大掃除をするという習慣が残っている所があるそうですが、もしかするとこの「夏越しの大祓い(なつこしのおおはらい)」の名残りなのではないでしょうか。「年越しの大祓い(としこしのおおはらい)」の方は、年末の大掃除が今日の姿と言うことができそうです。
大晦日(おおみそか)が大切な理由
では、なぜ「年越しの大祓い(としこしのおおはらい)」つまり年末の大掃除だけが、現代の私達の生活の中に残ったのでしょう?それは、私達日本人の遠い祖先達にとって、1年の最後の日となる大晦日(おおみそか)が、とても大切な意味を持つ日だったからではないかと思われます。
中国から太陰暦のような暦が伝えられるずっと前、私達の祖先の生活の基盤にあったのは、太陽と月でした。彼等は、やがて自分達の糧(かて)となる作物の実りや成長は、太陽の持つ強い生命のエネルギーによるものだと考えました。太陽が空に輝いている時間が短くなったり、あるいは日没などで太陽が隠れてしまったりすると、それと一緒に生命のエネルギーも弱まってしまう、古代の人達はそんな考えを持っていたようです。
太陽が姿を隠してしまった日没後に訪れる漆黒(しっこく)の闇(やみ)は、そんな彼等にとって生命力の弱まる恐ろしい時間だったに違いありません。けれど、そんな闇(やみ)の恐怖の中で、彼等を守るように明るい光を照らしてくれたのが、月でした。私達の祖先は、闇(やみ)を照らす月の明かりにも、太陽と同じ生命のエネルギーを感じたのではないでしょうか。だからこそ、月の生命エネルギーが最大になる満月の夜をことの外愛し、「十五夜(じゅうごや)」のような習慣ができたと考えることができませんか?
こうして考えてみると、古代の日本人にとってエネルギーの源だった太陽の力が、1年で最も衰える時期が冬だったと言えます。太陽が空に輝く昼の時間が短くなり、恐ろしい闇の時間が長くなるからです。中でも太陽の力が一番弱まるのは、北半球では1年で最も昼の時間が短くなるとされる、冬至(とうじ、二十四節気、にじゅうしせっき、と呼ばれる後に中国から伝えられた天文学の1つで、グレゴリオ暦の12月22日頃)だと考えられていました。でも、太陽が沈んで訪れる長い夜の間は、いつもなら月が守ってくれるんでしたよね。ところが、その月も「月籠り(つごもり)」「晦日(つごもり)」の晩には、見ることができなくなってしまうのです。つまり、1年の内で太陽と月の両方の生命力が最も弱まるのが、「大晦日(おおみそか)」の夜だったワケです。
太陽が出ている時間が長くなったり短くなったりすることや、月の満ち欠けに一定のリズムを感じ取っていた私達の祖先は、1年で最も生命のエネルギーが弱まるこの日に、全てのエネルギーの源としての太陽や月は一度死に、そして再び生まれ変わることで新たな生命のエネルギーを与えてくれる、そう考えていたようです。ですから元旦の朝、新たなエネルギーの光が差し込むまで、大晦日(おおみそか)の夜は眠らずに、闇(やみ)の恐ろしさを紛らわせようとしたのではないでしょうか。「年越しの大祓い(としこしのおおはらい)」をすることで、罪や穢れ(けがれ)を祓(はら)って、どうにかして少しでも悪しき魂を追い出そうとしたのも、何だか分かる気がしますヨね。私達日本人にとって、大晦日(おおみそか)というのは、それほど大切な日だったんですね。
年越し蕎麦(としこしそば)について
もう1つ大掃除の他に、よく知られた大晦日(おおみそか)の習慣に、年越し蕎麦(としこしそば)を食べるというものがあります。大晦日(おおみそか)の晩に、蕎麦(そば)を食べるというアレですね。晩ご飯の代わりになったりもしますが、真夜中までに食べ終わった方が良いと言われています。この年越し蕎麦を食べる風習は、全国的に見られるもののようですが、その他にも各家庭や地域によって、年越し蕎麦の代わりに年越しうどんや、新年を祝う料理の一種である年取り料理(としとりりょうり)を食べる習慣が、現在でも残っているようです。
元々蕎麦(そば)は、江戸時代(1603〜1868)の中頃の江戸(今の東京)の町で人気の食べ物でした。速い、安い、旨いと三拍子揃った蕎麦(そば)は江戸っ子達の間では大人気で、昼に晩に日常的によく食べられていたそうです。
では、そんな蕎麦(そば)を、一体どうして大晦日(おおみそか)に食べるようになったんでしょう?年越しの時に食べる料理になったのには、何か特別なワケでもあったんでしょうか?これに関しては諸説あって、残念ながら明解で簡潔な答えにはなりそうもありませんが、ここでは年越し蕎麦(としこしそば)を食べる理由として、よく言われている代表的なものを4つほど紹介しようと思います。
1.蕎麦(そば)のように細く長く生きたいという願いから。
2.蕎麦(そば)は長いけれど簡単に切れることから、その年の苦労を大晦日(おおみそか)で断ち切り、翌年に持ち越さずに済むようにとの願いから。
3.雨や風で倒れても、太陽の光を浴びるとすぐに立ち直る、植物としての蕎麦(そば)の生命力にあやかろうと思ったから。
4.年末はあまりにも忙しすぎて、自分達で食事をこしらえる暇がなかったから。
おそらく、最もよく知られているのは、1番の理由なんじゃないでしょうか。私自信も両親からそう聞いたような気がします。でも、個人的には4番の理由が、一番説得力があるように思います。
江戸時代(1603〜1686)には、買い物をした人が後から代金を払う約束で商品を買うという、掛け売り(かけうり)と呼ばれる料金支払いシステムがありました。今で言うクレジット決済みたいなもんですね。(400年も前に既にこんなシステムがあったなんて、ちょっとビックリですヨね。)当時は、こうした掛け売りというのが最も一般的な決済方法だったようで、商品を売った側は大抵年に1度年末に、料金を集めて回ったんだそうです。(店によっては、半年に1度精算をしなければならない所もあったようで、お盆と暮れに料金を集めに来たことから、これを「盆暮れ勘定(ぼんくれかんじょう)」と呼ぶようになったんだとか。)
江戸の人口は主に町人と職人で構成されていましたから、お金と時間に余裕のあった武家をのぞいて、江戸の人達が年末の決済をどうにか乗り切るために、1日中金策に走り回らなければならなかったことが、容易に想像できると思います。ほとんどの江戸っ子達は、支払いのための資金を工面するために、除夜の鐘が鳴り始めるまで、食事を取る暇もなく駆け回ったと言われています。そんな状況下で、当時のファーストフードだった蕎麦(そば)は、きっと有り難がられたハズです。つまり江戸っ子達は、この1年の最後の日があまりにも忙しかったために、家で自分達でご飯を炊いて食事を取ることができず、それで大晦日(おおみそか)に蕎麦(そば)を食べるようになったんではないか、とまあ、こういうワケです。
もう1つの話
大晦日(おおみそか)に年越し蕎麦(としこしそば)を食べるようになった理由に、もう1つおもしろい話があります。それは、金細工(きんざいく)や金の蒔絵(まきえ、金粉や銀粉を使って漆器の表面に描いた絵)職人達が、蕎麦(そば)を利用して、畳(たたみ)の目などに入り込んだ細かい金を集めたことに由来する、というものです。
大晦日(おおみそか)になると、職人達は蕎麦(そば)にお湯を少し加えて練り、糊(のり)状にしたものを畳(たたみ)の上にまき、それを集めて今度はそれを多めのお湯に溶かし、そして器の底に沈んだ金を集めたんだそうです。作業の間に仕事場に飛び散った金を集めることで、中には暮れの決済と新年の準備を十分に賄(まかな)えるほどの人もいたとか。
現在でも蕎麦(そば)は日本人の大好きな食べ物の1つで、年越し蕎麦(としこしそば)を食べる習慣は全国的に見られます。ただ関西地方、特に四国などでは、蕎麦(そば)より饂飩(うどん)の方が好まれているようです。これは、四国の香川県が讃岐饂飩(さぬきうどん)で有名なことと、何か関係があるのかもしれませんね。(讃岐うどん、美味しいですヨねええ。私も大好きです。)
また、関西で大晦日(おおみそか)に蕎麦(そば)の代わりに饂飩(うどん)を食べるのは、「うどん」を漢字で書いた時に使う「饂」という字の音(うん)が、運(うん)につながるから、とも言われています。人によっては、蕎麦(そば)は「細く長い」けれど饂飩(うどん)は「太く長い」のだから、年越しに食べるなら蕎麦(そば)より饂飩(うどん)の方がイイ、なあんて人もいるみたいです。
その他の年越し料理
その他に見られる年越し料理の風習としては、大晦日(おおみそか)に年取り料理(としとりりょうり)を食べる、という家もあると聞きます。かつて日本では、生まれたばかりの赤ん坊を1歳と考え、正月が来る度に1歳ずつ年齢を加えて行くという、いわゆる数え年が一般的でした。この数え年は戦前まで一般的な年齢の数え方でしたが、戦後は使われなくなり、欧米と同じような数え方になりました。
けれども、この数え年という考え方を元にすると、正月というのは家族全員が1つ年を取る、いわば家族全員の誕生日だったわけです。そんな家族にとって大切なおめでたい日を祝うために、年取り料理(としとりりょうり)と呼ばれる御馳走を作って食べたんではないか、と考えられています。
では、なぜ家族全員の誕生日に当たる元旦ではなく、大晦日(おおみそか)の晩に食べたのかというと、これは古代の日本人の「1日」に対する考え方が、説明してくれるんではないかと思います。昔の人達は、1日は日暮れ(日没)で終わり、月が出るとそれを新しい1日の始まり、と考えていたようです。ですから、大晦日(おおみそか)の夕方、つまり日暮れと共にその年は終わり、夜になって月が空に上る頃には新しい年が始まると考え、年取り料理(としとりりょうり)を食べてお祝いをしたんではないか、と考えることができるのです。
ちなみに、お隣の国、中国では年越し料理に餃子(ぎょうざ)を食べる習慣があるんだそうです。漢字を見ると分かりますが、餃子の「餃」という字は「食」偏に「交」と書きますヨね。これは「時間が交わる時に食べるもの」を表しているんだそうです。そして餃子の「子」の字は、「子供」という意味ではなく、「子の刻(ねのこく)」つまり夜11時から1時までの時刻を差していると言われています。そうすると、餃子は日にちと年の両方が新旧交代する、まさしく古い時間と新しい時間が交わる時に食べる料理ということになり、年越し料理としてはうってつけの一品、と言うことができるのではないでしょうか。
また、餃子の形が昔の中国の高額貨幣(金元宝と呼ばれたものらしい)に似ていることから、年越し料理に餃子を食べると大富豪になる、という願いも込められているようです。そういう意味でも、年越し料理にはピッタリな食べ物だったんですね。
他にはどんな習慣があるの?
大晦日(おおみそか)には、他にどんな習慣があったっけ?と何度も思い返してみたんですが、大掃除(おおそうじ)や年越し料理(としこしりょうり)の他に思い当たったのは、除夜の鐘(じょやのかね)と年賀状(ねんがじょう)ぐらいでした...。なので、この2つについて少し書いてみようと思います。
除夜の鐘(じょやのかね)
除夜(じょや)というのは、1年の最後の日である大晦日(おおみそか)の別名です。大晦日(おおみそか)の日の真夜中になると、新しい年の訪れを知らせるためにお寺の鐘が鳴らされます。通常、この時鐘は108回鳴らされるのですが、これは「人間には108つの煩悩がある」とする仏教の教えに基づくものだと言われています。とは言え、鐘の鳴らされる回数はお寺によって、多少違いがあったりもするようですけどね。
さて前にも書きましたが、大晦日(おおみそか)の夜というのは、生命のエネルギーが最も弱まるという意味で、私達の祖先である古代の日本人にとって、おそらく1年で最も恐ろしい数時間だったハズです。だからこそ人々は暗黒の闇を恐れ、なんとかして邪気を祓(はら)おうとしたんではないか、と考えられます。除夜の鐘(じょやのかね)は仏教にまつわる習慣で、5世紀以前の日本にはまだ仏教が伝えられていなかったことを考えると、おそらく仏教の伝来以降になって、既(すで)に存在していた日本人の価値観に、祓い(はらい)や浄め(きよめ)の効果を期待されて、後付けされたものだったんではないでしょうか。あ、もしかして、だから除夜(じょや)なんて名前がついたのかも知れませんね。だってホラ、「夜を除く」って書くじゃないですか?
年賀状(ねんがじょう)
新年の挨拶(あいさつ)のために年賀状(ねんがじょう)を送るという習慣は、一般的には新年つまり年が明けてからの習慣と解釈されそうですが、前の年の暮れまでに準備をして投函(とうかん)するという意味では、年末の習慣の1つと捉えることもできますヨね。この新年の挨拶(あいさつ)をしたためた年賀状(ねんがじょう)、欧米で言うならクリスマスカードのようなもので、こうした年賀状を送り合う習慣は、大掃除(おおそうじ)や年越し蕎麦(としこしそば)などと同じように、全国的に見られるものです。
この習慣が一体いつから始まったものなのかは定かではありませんが、記録によれば似たような習慣が、江戸時代(1603〜1868)には既(すで)にあったんだそうです。そうは言っても、当時は年賀ハガキなんてモノはもちろんありませんから、年の初めに日頃お世話になっている人のお宅を贈答品(ぞうとうひん)を持って訪ね、お世話になったお礼と新年の挨拶(あいさつ)を言う、といったものだったようです。一方、身分の高い人達は、遠くにいて訪ねることができない相手に対して、飛脚便(ひきゃくびん)などを使って挨拶(あいさつ)の言葉を書いた書状(今で言う手紙ですね)や、贈り物を届けさせたと言います。
ところが、こうした習慣は明治6年にハガキの郵便配達が始まったことをきっかけに、年賀状(ねんがじょう)を送り合う習慣に、とって代わられることになるのです。明治39年に年賀郵便(ねんがゆうびん)の制度が始まり、更に昭和24年にお年玉くじ付き年賀ハガキが発売されると、年賀状(ねんがじょう)を送り合う習慣は、一気に日本全国へと広まって行ったのだそうです。ちなみに、この年賀郵便の制度では、12月15日から12月25日の間に投函(とうかん)すれば、元日(1月1日ですね)の朝までに宛名の主の元に、年賀状(ねんがじょう)が届けられることになっています。
中には年賀状(ねんがじょう)なんて面倒臭いという人もいるでしょうが、今でも日本の人達の多くは年賀状(ねんがじょう)を送ったり、送られたりしています。それでも、最近では年賀状(ねんがじょう)を送らない人も増えているようで、日本郵政公社(にほんゆうせいこうしゃ)によれば、電子メールなどの普及や人気上昇のために、1999年以来、年賀ハガキの売り上げは減り続けているんだとか。てコトは、おそらく少なからぬ人数の方々が、やっぱり面倒臭いと思ってるってコトなのかなああ...。んでも、まあ送り方はどうあれ、せめて1年に1度くらい、誰かに感謝したり挨拶(あいさつ)の言葉を送ったりする習慣は、大切にしたいものです。そして、きちんと次の世代にも受け継いで行くべきなんではないだろうか、と思います。
などと言っている間に、私もサッサと年賀状(ねんがじょう)を書き上げて、ポストに投函して来ねばならんので、今回はこの辺で失礼させてもらうコトにします。
最終更新日2006年12月29日
参考サイト
大晦日 - Wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%99%A6%E6%97%A5大晦日 - Wikipedia (英語)
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Omisokaスサノヲとニギハヤヒの日本学
blog.livedoor.jp/susanowo/archives/50056670.html「年越し」と「過ぎ越し」の行事(祭り)
ttp://blog.livedoor.jp/ susanowo/archives/50056668.html
正月の起源と生命の循環と再生のシステム
ttp://blog.livedoor.jp/ susanowo/archives/50056672.html
TOBULAND:日本酒特集
ttp://www.tobuland.com/ contents/ikebukuro/0412/index.htm年越しそば
ttp://www.echizenya.co.jp/mini/colum/tosikosi.htm二村一夫『食の自分史』(20)「年越し蕎麦」か「年取り魚」か
ttp://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/foodandme20-tate.html■い頭を●くする「明日使える!プチ雑学」|melma
ttp://www.melma.com/backnumber_35122_535063/「第二十二話 日本と中国の年越し料理」の要約
ttp://72.14.235.104/search?q=cache:sQ7gqPyuzooJ:www.cs. reitaku-u.ac.jp/sm/todazemi/pages/pdf/taisyou/tai22.pdf+ %E5%B9%B4%E8%B6%8A%E3%81%97%E8%95%8E%E9%BA% A6%E3%80%80%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%80%E9%A3% 9F%E3%81%B9%E3%82%8B%E3%80%80%E9%87%91%E3%80% 80%E8%81%B7%E4%BA%BA&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=2&ie= UTF-8&inlang=ja ttp://www.cs.reitaku-u.ac.jp/sm/todazemi/pages/pdf/ taisyou/tai22.pdf のHTMLバージョン年賀状と暑中見舞い|日本文化いろは事典
ttp://iroha-japan.net/iroha/B06_custom/06_nengajo.html