10月の歳時記
この「歳時記」ではしばらくの間、古くから行われ現代の日本にも受け継がれている、伝統的な行事について紹介して行きたいと思います。
この時期に行われる行事
今月の「歳時記」では、十五夜(じゅうごや)を取り上げたいと思います。
またの名を「(お)月見(つきみ)」あるいは「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」としても知られる十五夜(じゅうごや)は、旧暦(太陽太陰暦)の8月15日の晩に出る月を愛で、楽しむ習慣です。
でも、なんで8月15日なの?大体もう10月だってのに、一体なんだって今頃8月の行事の紹介なのヨ?と思った方もいらっしゃるかもしれませんね。実は、ちゃんとした立派な理由があるんです。
その理由の1つとしては、まずこの行事の行われる日付け8月15日が、日本で1873年まで使われていた太陽太陰暦に基づくものである、という事です。日本では一般に「旧暦」もしくは「陰暦」として知られる太陽太陰暦は、その昔中国から伝わり日本に定着したものではなかったかと考えられています。この暦は1873年までは、日本でも実際に毎日の生活の中で使われていたのですが、その年を最後に廃止され、翌年の1874年からはグレゴリオ暦(新暦、つまり、私達が現在使っているカレンダーですね)が採用されるようになりました。
使用する暦は変わってしまいましたが、日本の伝統的な行事には、今もこの旧暦の日付けに従って執り行われているものが幾つか残っています。結果として、そうした行事の本来行われていた旧暦の日付けと、現在私達が行事を実際に行う日付けに、ズレが生じてしまったというワケですね。十五夜(じゅうごや)と言うと、9月の行事というイメージをお持ちの方も多いと思いますが、正しくは旧暦8月15日の行事で、これを現在のカレンダーに当てはめると、9月10日過ぎ位から10月の始め頃まで、年によって日付けの変わる行事ということになります。で、今年の十五夜(じゅうごや)はいつかと言いますと、10月6日(金)になります。
なぜ8月15日なのか?
なんで10月に8月の行事の話をしているのかは、お分かり頂けたんじゃないかと思います。では、この「月を愛で楽しむお月見行事」、そもそも8月15日(旧暦)に行われるようになったのには、何か特別な訳でもあるんでしょうか?
その名前から察する事ができるように、太陽太陰暦は大体月齢(新月から満月になるまで、月の満ち欠けを示す日数)に対応するように出来ています。従って、1ヶ月のちょうど真中に当たる日、毎月15日が満月になります。ですから、十五夜(じゅうごや)は文字どおり15日の満月の晩に行われる行事だった、と言って良いでしょう。まあ、今風に言えば十五夜(じゅうごや)自体、お月見パーティー的なノリで行われていたようですから、そういう意味ではお月さんがまさにパーティーの主役なわけで、満月の晩で無ければならなかった、ということになるのではないでしょうか。ちなみに、今年は10月7日(土)の晩が満月になります。
でも、太陽太陰暦が月齢に対応した暦ってコトは、満月は毎月やって来るんですヨねえ?じゃあ、なんで他の月の満月の晩ではなくて、8月だったんでしょう?しかも、今年の十五夜(じゅうごや)の日付けは、満月の晩より1日早いことになってるではないかっっっ!なんでなのヨ?だって、十五夜(じゅうごや)は満月を愛で楽しむ行事なんじゃなかったんかいナ?そう思う方もいらっしゃるかと思います。
季節による制約
賢い読者の皆さんは、日本という国が温暖湿潤性気候であることを、既にご存知かも知れません。こうした気候区分にあるため、日本では特に春から夏にかけて気温が上昇すると共に湿度が高くなり、空気中に含まれる水分によって遠くの景色なんかは、霞んだりボヤけたりして見えてしまうため、この時期は月を見たり楽しんだりするには不向きな季節なんですね。
一方、冬になると空気が乾燥するため、冬は春や夏よりも星や月の観察には向いている季節、と言うことが出来ます。ですが、優雅に月を愛でながら屋外でパーティーをするには、ちょっと寒くなり過ぎてしまいますヨね。
そうなると、のんびり月を眺めながらその美しさを楽しむのに、最も適した季節は秋ということになります。真夏の熱さが徐々に治まって、気温が緩やかに下がるこの季節なら、表に出てうっとり何時間も月に見とれてしまったとしても、暑すぎたり寒すぎたりすることもありませんから、お月見には最適な季節と言うことができるのではないでしょうか。旧暦の暦に当てはめると、秋という季節は(旧暦の)8月、9月、10月に該当することを考えれば、十五夜(じゅうごや)の行事が8月に行われたのには、こうした季節に寄る制約もあったのではないか、と考えられます。
食文化による理由
この十五夜の行事が、旧暦の8月15日に行われなければならなかったもう1つの理由として、おそらくこれが最も説得力があるんじゃないかと思うのですが、この頃がちょうど里芋の収穫期に当たるから、という説があります。日本の十五夜のお月見行事は、中国の中秋の名月(旧暦8月15日の月を愛でる習慣)の影響を多分に受けていますが、この行事の起源を辿って行くと、実は遥か2万5000年も前にまで、時間を遡ることになるという説です
およそ2万5000年程前、私達日本人の祖先である縄文人の一部は、ヤムイモやタロイモといった、いわゆるイモ食文化を持っていた南洋の島々から渡って来た、と考えられています。ところが、熱帯の南の島々と日本では自然環境が異なっていたため、彼らがたずさえて来たヤムイモやタロイモの多くは、新しい環境に適応することができずに絶えてしまいました。
けれども、その中には辛うじてこの環境の変化を生き永らえたものがありました。それが、里芋と山芋です。里芋はタロイモの仲間で、球状の地下茎が食用として里で栽培されるようになったことから、この名前が付いたと言われています。また、山芋はヤムイモの生き残りだと言われていて(名前の音も似てますよね)、山の斜面などに自生するものです。タロイモの仲間である里芋も、ヤムイモの子孫である山芋も、現在でもオカズとして私達日本人の食卓に上る、馴染みのある食材になっていますよね。(現在、私達の食卓に上る山芋は、もともと山の斜面に自生している物を食用に品種改良した、長芋と呼ばれるものなのだそうです。)
縦に長〜く伸びた山芋に比べて、丸っこい形をしているせいもあってか、里芋は十五夜のお供物としてもよく使われます。十五夜のお月見行事が「芋名月(いもめいげつ)」という名前でも知られているのは、そのためだとも言われています。こうした事柄も、十五夜という行事が、里芋の収穫期に重なるこの時期に合わせて行われていたという説を、裏付けるものではないでしょうか。
満月の晩と十五夜の日付けのズレ
さて、現在の暦(グレゴリオ暦)の十五夜の日付けと、満月の晩の日付けがズレる事についてですが、その主な理由として、月の軌道が完全な円ではないということが、挙げられます。月の軌道は完全な円ではなく歪んでいるため、新月から満月になるまでにかかる日数(いわゆる月齢というヤツですナ)が、13.8日から15.8日の間で変化するのだそうです。これをグレゴリオ暦に照らし合わせると、新月から満月になるまでにかかる平均日数(月齢平均)は、14.76日になると言われています。ところが、これを旧暦に照らし合わせると、月齢平均は14.0日になるのだそうで、ココに0.76日分の時間のズレが生じる、ということになります。
現在の暦の十五夜の日付けというのは、旧暦の十五夜の日付けをグレゴリオ暦に計算し直したものですから、結果として旧暦の十五夜と満月の日付けが一致せず、満月の方が十五夜よりも0.76日分後ろにズレる、というワケです。(他にも色々な理由が絡み合っているそうなので、必ずしも0.76日分後ろにズレるわワケでは無いらしいのですが...ココでは一番分かり易そうな説明を取り上げてみました。)
これで、何故今年の満月の晩10月7日が、十五夜の日の10月6日の日付けと一致しないのか、お分かり頂けたんじゃないでしょうか。今年は晴天に恵まれたため、素晴らしい満月を楽しまれた方も、きっと多かったことでしょう。でも、この時期の日本列島は秋の長雨や台風の季節を迎えるので、実はこの十五夜の晩(正確には十五夜前後の晩ですネ)に、満月が見られる確率って意外と低いんだそうです。
十五夜なのに月見えず?
江戸時代の書物には、「中秋の名月10年に9年は見えず」といった記述もあるそうで、この時期の晴天率は、昔からあまり高くなかったことが伺えます。けれども、私達日本人の祖先の月への思いは熱く、秋の長雨や台風のせいなどで十五夜の晩に月が見られないと、お月さんを拝めなかったことを惜しんで、日本人独特の感性で美しい言葉を作り出しました。
十五夜(15日)の晩に月を見られないと、人々は16夜の月の出を「十六夜(いざよい、さあ宵だ、月を見に行こう、という意味)」、17夜に出る月を「立待月(たちまちづき、月が出るまで立って待っている、という意味)」、18夜の月を「居待月(いまちづき、立って待っていたけど疲れて座ってしまった、それでも待っているという意味)」、と呼んで楽しみにし、更には19夜の月を「寝待月(ねまちづき、待ちくたびれて横になってしまったけど、それでも月が出るのを待ってるヨ、という意味)」、20夜の月を「更待月(ふけまちづき、夜更け、つまり深夜になっても、まだ待ってるかんね、という意味)」と辛抱強くただひたすらに月の出を待ち続け、遂には「晦(つごもり、月籠りから来る言葉だそうで、月が隠れてしまって全く見えないことを意味し、それから転じて陰暦の毎月の末日を差すようになった、と言われています)」と呼ばれた30夜まで、日毎に表情を変える月を楽しみに待ったのだそうです。
月への熱い思い
こうした日本人独特の感性から生まれた表現からは、私達日本人の祖先が月に対して熱い思いを抱いていたことが、伺えるのではないでしょうか。特に、満月に寄せる思いは格別に強かったようで、満月のことを「望月(もちづき、文字どおり望む月ってことですね)」と呼ぶのも、そのせいではないかと思うほどです。
その昔、旧暦、つまり太陰暦が使われるようになるずっと前の時代、暗闇は当時の人々にとって、恐ろしい生き物や魔物の住む世界でした。ですから、月明かりの無いまったくの暗闇の晩は、おそらく彼等にとって最も恐ろしいものの1つ、だったんではないでしょうか。それだけに明るい満月が空に上り、大地や彼等の住む世界を柔らかな光が照らし出す晩は、どれほど心が安らいだことでしょう。と、こんなことを考えてみると、この頃の人々にとって、いかに満月が重要でありがたいモノだったか、分かるような気がしますヨね。
農耕によって生活していたこの頃の人々が、暦というものが実用化される以前は、種まきや収穫に適した時期を知るために、月の満ち欠けに頼っていたというのも、月に寄せる彼等の熱い思いを裏打ちしているのかもしれません。また、周期的に繰り返される月の満ち欠けは、「死と再生」として捉えられ、月そのものが人々の信仰の対象になって行ったようです。そして、月の持つ生のエネルギーが最大になると信じられていた満月の夜には、宴や祭のような行事が行われるようになり、それがやがて中国から渡って来た中秋節の影響を受けながら、「月見」という習慣に変わって行ったのではないかと考えられています。
十五夜のお供物
古代日本の農作業が月の満ち欠けに頼っていて、この十五夜や(お)月見の行事に、農作物の収穫祭的な性格があるという意味では、十五夜のお供えは、この時期に収穫される作物に由来している、と言っていいでしょう。十五夜のお供物の定番はススキと(お)団子で、これは全国的に見られる風習のようですが、秋の七草やその他の季節の果物や野菜は、地域などによって供えたり、供えなかったりとマチマチなようです。
十五夜に供えるススキは、私達の祖先が作物の実りに感謝して捧げた初穂(はつほ、その年初めて実った稲穂のこと)に由来すると言われています。十五夜の晩に供えられるススキは、元々はその年の最初の収穫となった、黄金色の穂を垂らした稲だったと言われていますが、これは豊かな実りがもたらされた事への感謝の気持ちを現わしたものだった、と考えられています。やがて日本人のライフスタイルが変わって行って、農業を生業とする家ばかりでは無くなって来ると、稲穂から同じようにこの時期に穂をつけるススキに、変化して行ったのだそうです。
(お)団子は、ご存知の通り米の粉をこねて作った食べ物で、アンコやきな粉、みたらし団子なんかにして食べますヨね。(お)団子を供えるようになったのは、かつて十五夜の晩に衣被(きぬかつぎ、里芋の小っちゃいヤツですね)を供えたことに、由来していると言われていて、やはり作物の収穫に対する感謝の気持ちをこめて、供えられていた物のようです。
897年に、宇多天皇(うだてんのう)が宮中で開いた観月の催しで、衣被(きぬかつぎ)の代わりに(お)団子を振る舞ったのが始まりだと言われていますが、それが今日に受け継がれ、十五夜の晩にはその名にちなんで、15個の(お)団子を供えるようになったのだそうです。ちなみにこの(お)団子、関東では満月のお月さんを模してまんまるに作るのですが、関西では衣被(きぬかつぎ)もしくは里芋の形を模して、俵型に作るんですって(へえ〜)。
それから、十五夜の行事に関連してもう1つ、十三夜(じゅうさんや)と呼ばれる行事があります。十五夜と同じように、美しい月を愛でる行事なんですが、十五夜より約1ヶ月遅い旧暦の9月13日の晩に行われるもので、今年は11月3日金曜日になります(文化の日ですね)。日本では、十五夜と十三夜は対になっていると考えられているようで、十五夜の晩だけ月を見て十三夜の晩に月を見ないのは、片見月(かたみづき)と言って縁起が悪いとされています。
名残り月(なごりづき)、あるいは後の月(のちのつき)としても知られる十三夜は、隣国の中国や韓国の影響を受けていない、日本独自の風習だと言われています。詳しいことはよく分かりませんが、まあ、十三夜に供えるものとされている栗が、日本では縄文時代(紀元前7000年頃から紀元前250年頃)から食べられていたことを考えると、十三夜が日本独自の風習であるとする説は、信頼できそうな気もします。
十三夜の時期が、ちょうど枝豆や栗の収穫期と重なることから、この行事の際には十五夜のススキや(お)団子同様、おそらく実りに感謝するといった意味合いで、両方が供えられます。なので、枝豆や栗は元々十三夜のお供えらしいのですが、十五夜の時に供えるケースもあるようです。それでも、こうしたお供物をすることから、十三夜には「豆名月(まめめいげつ)」や「栗名月(くりめいげつ)」といった別名もあるんですね。(って、こっちの名前の方が、聞いたことあったりして...て思ってたら、それは和菓子の名前だったのねん...。)
十五夜のお供えには他にも、その年の最初の収穫で採れた米で仕込んだお酒や、秋の七草を供えることもあるんだそうですが、長くなって来たので今回は割愛して、これらについては、また別の機会に触れることにしようと思います。
十五夜にまつわる話
十五夜に関連したお話は幾つかあります。ですけど、先程書いた通り、何分長くなって参りましたので、2つだけ紹介することにします。
ツクヨミノミコトとウケモチ神
古事記や日本書紀に記された、日本の神話の中に登場するツクヨミノミコト(月読命)は、夜の世界と海を治める神で、月の満ち欠けと潮の干満をつかさどっていました。
ある日ツクヨミノミコトが、ウケモチ(保食神)という神を訪ねた時のことです。ツクヨミノミコトは、ウケモチ神が彼女をもてなそうとして、穀物や獣などを口から出したのを見て、すっかり気分が悪くなってしまったのだそうです。「なんと汚いことをするのだ」と怒ったツクヨミノミコトは、ウケモチ神を殺してしまいました。すると、殺されたウケモチ神の身体から、稗(ひえ)、粟(あわ)、麦、大豆、小豆などの穀物の種や、牛、馬、蚕がとれたのだそうです。
ツクヨミノミコトの姉であり、天空と太陽を治めていたアマテラスオオミカミは、妹のウケモチ神に対する所行に「悪しき神なり」と言ってひどく腹を立て、「もうお前には会いたくない」と言いました。そらからというもの、月は太陽の出ていない夜の間だけしか輝くことができなくなり、太陽と月は別々の空に輝くようになったのだそうです。
月のウサギの話
日本では、月と言えばウサギを連想する人が、多いんじゃないでしょうか。月の表面の模様は、欧米では「人が歩いている」ように見える(らしい)のに対し、日本では「ウサギが餅を搗いている」ように見える、というのが一般的ですヨね。一方、日本と縁の深い中国ではどうかというと、餅の代わりに「ウサギが薬草を搗いている」ように見えるんだとか。しかも、月は不死の世界だと言われているんだそうです。「所変われば...」てヤツですな。
日本と中国では、月の見方もちょっと違うようですが、実は意外な共通点があったりもするんです。それは、皆さんお馴染みの「竹取物語」に見ることができます。
「竹取物語」では、月には不死の薬というモノが存在することになっています。でもって、物語の中でかぐや姫は、月に戻る際にこの不死の薬を少しなめ、残りを竹取の翁に渡すという場面が出て来ます。これは、月は不死の世界であると捉える、中国の考え方と共通している部分ではないでしょうか。とは言え、「竹取物語」自体、中国の文化の影響を受けているでしょうから、当たり前と言えば当たり前のことなのかもしれませんけど。
ちなみに、その後、翁は天皇にその不死の薬を献上しますが、天皇もそんな薬は要らんと言って、その名も不死の山という所で、燃やしてしまいました。この不死の山というのが、日本一高い山として知られる、あの富士山だったんだそうです。って、なんか蘊蓄王(うんちくおう)みたいになっちゃいましたね。大分長くなってしまったので、今月はこの辺で。
最終更新日2006年10月28日
参考サイト
年中行事・節句〜日本の行事・暦
ttp://koyomigyouji.hp.infoseek.co. jp/nenchugyouji.htm#hこよみのページ
ttp://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?ttp://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0710.htm日本の神話と古代史と文化《スサノヲの日本学》
ttp://susanowo.kyo2.jp/e4245.htmlうずきたかれミニ
ttp://unchiku.jugem.jp/